フイルムを使おうと思う

今日、六本木にある会社のお客さんに会いに行った帰り道に「富士フイルム スクエア」の展示を見に行った。

前回来た時は、昭和の東京の風景の展示をやっていて、戦後から高度成長期まで通して見れた。

今回は富士山やその外山岳写真が展示されていて、四季折々の富士山の表情がキレイだった。

100枚くらいある写真の撮影者は皆バラバラで撮られた時期もそれぞれ違って面白いなー。と思って見てたんだけどパネルになった写真の脇に小さいサムネイルが貼ってあって、撮影時の大きさが示してあったんだけど、その中にもリバーサルフイルムで撮られた写真が何枚か飾られてて、なんか凄い迫力を感じた。

表現で言ったらデジタルの方も鮮明だし、決定的瞬間も捉えられていたりして当然絵として素晴らしいし、リバーサルの手間を考えるとその瞬間を収められたのは凄いってだけなのかもしれないけど、でも撮影した人はその瞬間を撮影してて、それはもしかしたら瞬間的かもしれないし、そうではないかもしれないんだけど、自分でこう撮りたいと思って決めてシャッターを押した。と考えるとやっぱり凄いわ。と、感慨深い。

翻って考えてみると先日のシンガポールでの写真の出来は(そもそも腕なんか無い訳だけど)あまりにも酷くて衝撃的だった。

それで今日リバーサルフイルムを使って撮られた写真を見て、自分は今の状況で素敵な写真を撮る為には、その物をちゃんと見つめる時間が必要なんだって思った。

枚数を撮っていないって事は絶対に影響してると思うけど、それ以外にも上海時代の心境と今の心境が違うからそれが問題なのかと思ったり、日本で心が麻痺したのか、とか色々思ったりしたけど、たぶん単純に被写体への集中が足りない。

本当にそれだけだと思う。解決策に気がついて良かった。フイルムで撮ろう。