質の悪いパターン

以前の日記で「発作的に行動をとって失敗を正当化する開き直り」をやめたい。って言っていた事がある。今聞いてもすごく情けない自分なんだけど、感情に任せて脅迫的に自虐的に「有りか無しか」という行動を取ることがある。この数年、そんな自分はもう克服した気になっていて、うっすら忘れかけていたんだけど、ここに来て馬鹿丸出しな「有りか無しか議論」をやらかした。私のお決まりパターンだ。この極端思考になると、徹底的に貫かないと納得できなくなる。意地っ張りな自分のしょうもない人間性なんだろって思っていた。が、これは自分が思っている以上に質が悪く、根が深い問題なんじゃないかと疑い出している。

この前アンケートで「1・2・3・4・5」から程度を尋ねる質問に答えると、「1」か「5」しかなくて、それを見ていた一緒にいた人が「そういうハッキリしてるとこ良いね。」って言ったもんで、これは特徴的な回答なんだなって事を思った。そう言えば普段からどちらかハッキリする事が気持ちいいと思っていて、スッキリするからハッキリするようにして来た。

そういえば別のシーンも思い浮かぶ。欲しい鞄や服や靴が見つからない。って話を何年もするもんで、友達が「あなたは欲しいアイテムの仕様を事細かに決めすぎなのよ。」と言った。確かにそうかもしれない。以前自分のあまりの浪費家っぷりに反省して「今買う必要のある物だけを最低限買う。」って当たり前の事を決めたんけど、それが高じて、今はほとんど物を買わなくなったし、買えなくなった。買えても下準備がものすごく大変になった。でも嫌じゃない。無意味な物にお金を使いたくないし、物を買った時は楽しいと思える様になったので、この方法は気に入っている。

意見が曖昧な自分は嫌だったし、浪費家な自分も嫌だったし、自分の周りにある物は、物事1つ1つまでに自分の意志で存在して欲しいし、気持ちいい自分になる為に納得ができる考え方は取り入れて実行してみようと思ってる。これをやっていて良い影響は沢山ある。人が作った物、作品、話、色んな事に込められた意味や意志を感じられるようになったと思う。自分の周りにも、その結果が反映されてると思う。好きな人に囲まれている。自分のフィルターで判別された好きな物と人とだけ関わっていれば良い。それが人生なんだと本気で感じる。一方で、それは事実上の偏見という事だ。好き好んで偏見の世界にいるんだ。私は。

この偏見を基にすると、人や物事や行動には必ず理由とか意味があるはずなんだけど、意味がない場合とか、見えない場合に「理解できない」と感じる。それが好奇心になる場合もだぶんあるけど好奇心に働かなかった場合、私の中で「無駄」となって排斥される。人の場合は関わりを最小限に収める。収まらない場合、例えば会社のように関わる人を選り好みできない場合、自分の関わりの中に「無駄」のノイズが交じるので害された気持ちになる。感情に影響する。
こうやって書いていると、とんでもなく我儘で身勝手な思考なんだな。我ながら信じ難い。事実なんだけど。

自分の価値観に囚われすぎて感情を左右されすぎる。人間関係でいちいち一喜一憂しすぎる。この1年でのグチャグチャの頭の中で最近思った事だった。友達にそれを話したら、『人と本音でぶつかってるって事なんだろうけど「人に期待しすぎなのよ。」私、他人がどうとか基本的に興味ない。』って言われた。そうかもしれない。「人はそれぞれ」って思う一方で、それが自分とは無関係だと判別されると、いちいち「嫌い」になっていた。100歩譲って「無視」ならまだマシなのに。

そもそも、自分のこのmessyな情況を説明できない事そのものが嫌でストレスで「無駄」を孕んでいる自分が「嫌い」だった。「理由」が分からないからお先が真っ暗だった。今はこのダイアリーに色々書けるようになって、やや戻ってきいる証拠なんだと思う。書ける言葉が見つかりだした。この説明癖、嫌いじゃなかったし、快適に過ごすための処世術みたいに思っていたから、それがこんなに影響しているのは自分に対する脅迫の様に感じる。本当はこんな説明しなくても良いのではないか。って今思ってる。同時に、人に同じように「尋問」している可能性が高い。

昨日休憩室にパソコン持ち込んで仕事してたら、社長が通りかかって、私の事を見て「俺ら◯◯(社名)の鬱病コンビだね。」などと突然抜かして来た。通りすがりのセリフにしては意味不明なのですぐ反応できなかったけど、「それ、対外的にヤバいですね。」ってとりあえず答えた。確かに病んでるんだろうよ。この状況。ともかく、鬱病は言い過ぎだとしても、たぶんノイローゼとかそういう事なんだと思う。社長も去年から色々と苦労をしているのは知っている。今は回復しているのかどうかは知らないけど、少なくとも仕事っぷりはカムバックしている様だ。私が以前の様に仕事に情熱を持てなくなっているのは残念ながら事実なんだけど、とりあえず、日常の中に細かい網の目の様に張り巡らされた自分のこの質の悪いパターンをどうにか緩和させて自分を追い込むのをやめよう。