大河への道〜伊能忠敬物語〜

まさか2012年の間に志の輔師匠にまた会えるとは思ってなかった。
チケット会社の涙ぐましいまでの日々のメルマガのお陰だ。
今年に入って行った落語はほとんどチケット会社のメルマガに因るものだから、メルマガは凄い効果だね。
他の人はどうだか知らないけど私に限って言うと10万円とは言わないけど相当使ってる。とは言っても志の輔師匠だから、毎度チケット合戦が繰り広げられるから本当に狙ったイベントじゃないとあんまり本気で取りにいかない。(本気で行ってもサーバ落ちるだけだから気持ちの問題なだけで実際は殆ど為すすべもない。)
そもそも志の輔と聞けば勝負掛けるみたいな事やってたら身が持ちません。
そんな感じでいつものごとく志の輔師匠情報を受信して何気なしにクロールしてたら、おやや?「チケットまだあるよ。サーバ生きてるよ。」ってタイミングに遭遇。頭に血がグワッと上がって購入しましたのが、毎年本多劇場で開催されているらしい落語会。今回の演目は2010年にパルコで講演された「大河への道伊能忠敬物語」だった。既にタイトルが決まってるしリバイバルって言うし本多劇場だし、形式がちょっと普通の独演会とは違って特殊っぽい感じだな、と思いつつ伊能忠敬物語って何?っていう前情報ゼロの状態ながらも志の輔師匠にまた今年も会える!と思ってめちゃくちゃ嬉しかった。
で、実際に伊能忠敬物語って何だったのかって言うと伊能忠敬さんのお話だったんですね。そのまんまなんだけど、正確な日本地図を初めて作った学者、伊能忠敬の偉業についての新作のお噺でした。
ここまで書いてて、書き出した時に言いたい事は何だったのか忘れちゃった感がある。いや、むしろまだ言いたい事がまとまっていない。色々と渦々してる頭から何とか絞り出す。

一番心に残ったシーン。
「1821年に地図を完成させた伊能忠敬と測量チーム
1861年にイギリスが日本国土の測量を求めて渡来した。幕府がイギリス人に伊能忠敬が作りあげた「伊能図」を見せた時、そのあまりの緻密さ正確さに度肝を抜かれ「伊能図」を前にイギリスは撤退するしかなかった。伊能図完成後40年この事実を伊能忠敬は知らない。」
人生50年の世の中で「地球の大きさを知りたい。」という夢を叶えるべく55歳から歩き出し72歳まで止まることなく日本の海岸線を歩き続けた偉人。その計算された正確な一歩一歩。その功績は感心するには大きすぎて人生とその繋がりの奇妙さを志の輔師匠を通じてタイムスリップしたかの様に感じた。
思いは伝わるとよく言うけれどそれをもたらすのは思念のように空気に漂う思いではなく、人の活動、行動だってこと。それを感じずにはいられなかった。
伊能忠敬の様な頭脳があれば幸せだけど、なくても、ゆっくりでも考え悩みながら戦略的に一歩一歩進む事がその人の役割なのかもしれない。人の活動は少しずつでも何かを変える。194年前に身をもって証明してくれてる事だった。