なんでも試してガッテン

という性格。
試さないと気が済まない。しつこいとは確かに良く言われる。
自分と違う事があると、どの角度からアプローチしたら自分と合致するのかな?と。色々調べたくなる。できない事にも手を出して困ったことになる事もしばしばだけど。

特に楽しいのは食べ物。例えば、「うに」の場合。今じゃ考えられないけど小学生で初めて食べた時は生臭くて「オェッ」ってなって吐き出した。でも皆が美味しいって言ってるのに自分だけ美味しく食べられないなんて不公平!って思って、虎視眈々と美味しいと思えるだろうという時機(鮮度が高いうにが食べられるタイミングとか、自分の味覚が変わってきたタイミング)を見計らい、中学生か高校生の時には大好物になってた。

そんな感じで食べ物はほぼ克服して来ている。
今、もうちょっと時間が欲しい食べ物がここ数年チャレンジしてる「みょうが」。以前は、料理に少しでも紛れていようものなら胸焼けがして、頭が痛くなって具合が悪くなるくらいだったけど、ここ1、2年は口に出来るようになってきたし、まるごと噛じる事も出来るようになってきた。でもまだ他の料理とのハーモニーによる美味が今ひとつ分かってない。

高級なお寿司屋さんとかに連れて行っていただくと、ツマと一緒に細ーく細ーく糸のように刻まれた繊細なみょうががお刺身と一緒に出てきたりするけど、それくらいまで繊細なレベルにしてもらわないと障害なく心から受け入れる事はまだできない。

「みょうががないとね!」って域まで行きたい。
こういう「お試し」はもはや食の楽しみでもあるんだけど軽い気持ちで何年も試してる。

そう思って人も、もう少し付き合う人を変えたら色々面白いかもなぁ。って事を体験できるのがTwitterだなぁって思うけど、リアルでもそうしていくと面白いと思ってたんだけど、どうしても「気になる」とか「好き」ってとこから導入すると違和感がない代わりに新鮮さもなくて、お互いにいいところとか悪いところとかを楽しめなくて、なんだか勿体無い感じもある。
最初の興奮に反しての興ざめと言うか。
苦手、嫌いって人に対してのアプローチは自分も変わって、新しい方法を考える事が前提で、そうしないと失敗する確率も高い。
なぜなら私が「キラい」って思うって事は相手も私の事「嫌い」って思ってる可能性が高いと思うし。その瞬間の居づらさとか通じなさはお互い共有していると思うんだよね。

あと、「好き」とか「自然」とか「懐かしい」って人はいい意味でも悪い意味でも「パターン」を引き寄せてる可能性が高いので、どの自分との関係とか、自分の跳ね返りの行動がプラスに出るタイプなのか、マイナスに出るタイプなのか、よく分からないで近づくとせっかくの「好き」が単なるがっかりに繋がる事があると最近気がついた。

やっぱり人との関係に於いては、特に出会ったばかりの時は「大事になり得るかもしれない可能性のある相手」を消耗する様な関係に持ち込むのではなく、これから長い時間を掛けてお互いにとってベストな関係のあり方をよくよく考えて、色んな可能性を楽しむくらいの余裕が必要だと思うんだ。

やっと最近少しずつ「人を大切にする事」の応用編に来たかもしれない。