日本で仲間を見つけるという事

私は、散歩が好きで、写真撮影が好きで、カメラをいじる事が好きで、友達に進められたアニメを見ることが好きで、中国語を勉強して中国人の謎を探る事が好きで、インターネットが好き。好きなモノをたくさん持てる様になった。嬉しい事だ。今ではこれらがどれだけ好きなのか、友達同士で語り合う事もできるようになって、友達も増えた。本当に嬉しい事だ。

実はあともう一つ好きなモノがあって、なかなか大好きな気持ちを伝えるのが大変なんだけど、日本の事が大好きだ。

今から次の瞬間にしか意味がないと思うようになってから、過去の事が本当に記憶に残らなくなった。困るくらい。記憶障害かもしれない。って思うくらい。それでも、今の私は10年前の私からは想像ができない。

日本の事が大好き。
そういう事を友達に言うと、大体「…う、うん、まぁね…。」って言うような反応になる。でも好きなんですよね。

たぶん皆好きなんだと思うけど、何がそんなに好きって、日本は私自身で、自分が日本を好きにならないと自分の事も好きになれない様な気持ちがある。だから、自分を好きでいる為に日本が良い状態であるべきだと思う。

きっと1億5000万人の人が多かれ少なかれ日本の事を何かしら意識しているはずだと思う。表現は違うから好きなのか、なんなのかハッキリしないけど、無関心な人はいないと思う。結果無関心を装っている人もいると思うけど、何かしらの気持ちがあっての強要された無関心だとすると、やっぱりそこには何か意識があるはず。日本に住んでいたり、海外に住んでいたり、国籍が違ったりしても、日本という国と社会の中にいた事のある人であれば、日本が良い状態で、良い方向を向いていて欲しいと思う気持ちは絶対に持っていると思う。

選挙が近くもあるけども、別に政治家になりたい訳でもないし、学者でもないので、「日本」なんて大きな言い方するのも抽象的すぎる節があるのは確かだけど、そう思うようになって、中国から日本に帰ってきたのが半年前。

当時、日本に帰ってくるとは思ってなかった。どうやって中国で人生を過ごそうかと本当に思ってた。中国に行こうと決めた時は、確かに日本が嫌だったし、日本では何も肯定できる事がないと思ってた。

単純に考えてたのは、日本にいても、何も変わらなくて、面白みもなくて、得する事もなくて、単なる地球の人口の数合わせの為に生きてるみたいで、でも今何かできる能力もある訳じゃなくて、にっちもさっちも行かない現状に、本当に疲れていた。

そんな状態が長く続いていたけど、中国人の友達を持つようになって、中国の友達が皆「自分の事が大好き」な状態がすごいと思った。呆れるくらいナルシストなので、ちょっと気持ち悪いし、引くんだけど、でも、それって別に誰にも迷惑掛けてないし、結果自分が幸せなんだったらそれで
自分の勝ちじゃん。って思った。私は自分の事、全然好きじゃないし、未来も見えない。今死んでも、後で死んでも特に意味はない。そんな時間の使い方は当然嫌だった。

少なくとも自分の人生の時間の使い方は自分が好きに使えるんだから、なら自分がシアワセになれる方法をもっと探さないといけないと思った。

そう思うと日本にいたら、誰かの責任になる問題が多すぎた。条件を変える必要があった。だから自分の事が大好きと言ってはばからないナルシストな中国人を見に中国に行くことにした。いつ帰ってくるかは決めてなかった。帰ってくるかもな?くらいで。でも場合によっては日本に戻る事は即ちワーキングプア決定。とも思ってた。

でも、私は今日本に帰ってきた。
金銭的にフツーの会社員と変わらない。プアでもなければ裕福でもない状態。というのが現状ではあるけども、私の予想と大きく違ったのは、念願の仲間が見つかった事だと思っている。

今の会社の仲間たち、社長を筆頭にこういう人たちが存在する事に気がついて、価値があるんだと気がついて、探し出せて、仲間になるまでにすごく時間が掛かったけど、見つけられて今、良かったと思う。

私が上海から帰ってくる時に欲しいと思ってたモノはことごとく手に入った格好になった。
もちろん中国に行く前に欲しいものがハッキリしていた訳ではない。なんとなく働いてた時期もあったし、それで本当に何か変わるのか分からなかったし、そもそも変わるって確信を持ったこともなかった。

でも、ずっと中国にいて、中国の人たちと暮らしてみて、本当に色々と救われていた。大胆な行動や、スピードや、自信過剰すぎるほどの言動や、間違いを恥とも思わない図太さや、変化する自分への希望など。中国にある正直な物事や生身の人間のリアルと刺激に触発されて電気ショックを与えられた様にわたしは中国にいてこれまで自分で背負った呪縛から抜けだして、自分が研ぎ澄まされていくのが分かった。

そうすると自分が何が好きで、何が嫌で、何が楽しいのか。ちょっとづつ見えてくるようになった。ここまでに6年半掛かった。

私はそうまでしないと自分の事が分からなかった。だから、他の人に比べてみるといわゆる落ちこぼれなのかもしれない。でも、今はそんな事は怖くなくなったし、私が死ぬときに誰も私の落ちこぼれた時間を勘定して精算してくれる訳でもないので、自分の為に時間を使う他ないのだ。

舞台は整ったというか、役割がハッキリした。

無機質的に「する事」と思っていた所から、「好きな事」を自分から引き釣り出せるようになり、「やりたい事」を発見できた。でも、どれも私一人で出来る事は少なくて、誰かの力を借りたり、私の力を貸したりしたかった。そう思ったら、仲間が欲しくなって、日本に帰ってきたかった。

そう思ったら今の会社の仲間が目の前にいて、冷や汗かきまくってすごく嬉しかったのを覚えている。入社して4ヶ月経った今、確信が強くなりこそすれ、疑ったことはない。自分が試される緊張感ばかりだ。それぐらい皆は今日日珍しい程に剥き出している。

舞台の上で遠慮無くそれぞれを実現する事がみんなの目標で、その目標を達成する暁にはみんなが願っている事が叶うと思っている。

会社にいる事は誰かの舞台を使っていると思うかもしれないけど、私には一人でできる事は少ない。私には私の役割があり、この仲間と能力を発揮する為に私は私なりに粛々と準備し、時機を温めていたんだと思う。

解釈は勝手だから、本当は別に何でもないタイミングなんだろうけども、今そうやって思えるんだから、それはそれで楽しい事だと思った。

いま、私は日本の事が大切だし、どんな格好であれ、必ず皆が幸せで、誇りを持っている国であるべきだと思う。というか、むしろそういう日本以外はありえない。

もしかしたら、今の日本は「誇り」や「希望」等そういう所から離れつつある様に見えるかもしれない。だけど、私の日本は良い国であるべきで、なんども言うがそれ以外選択肢はない。

それは仲間がいれば必ずその方向に進むと思ってる。今私の周りにいる人間だけじゃなくて、私たちの世代や、私たちから世代を引き継ぐ準備をしている次の世代が私の仲間だと思う。

考え方を同じにしたい訳じゃない、やり方は人それぞれだと思う。だけど、私たちは仲間だし、一人じゃないし、次の世代への準備は進めないといけない。誰のせいにもできない。経済の話は良く分からないけど、これからの、私たちへのプレッシャーは確実に大きい。もちろん地震原発の事を含めて。だからこそ出来る事、実現したい事をしなくてはいけないし、そうしたい。

もっと急がなくてはいけないかもしれない。もっと出来る事を増やしたい。