110311・12東北地方太平洋沖地震発生時行動記録

<状況概要>
勤務地:新宿区
自宅:横浜市
地震遭遇場所:五反田駅大崎広小路駅近く(クライアント事務所内)
同伴者:なし

地震発生から帰宅までの行動>
14:50
大崎広小路駅近く
クライアントの会議室にて商談中に地震発生。

14:55
すぐに外へ避難。
父、母と会社へ状況連絡。とりあえず皆無事。
この時はまだ発生直後で携帯は繋がり易かった。
この後10分後から携帯はほとんど繋がらなくなる。

15:15
様子を伺い、利用駅の五反田駅へ向かう。
五反田駅前で茨城県震源地震に遭遇。
JR駅構内は立ち入り禁止。余震もあるし、復旧の見通しは当分なさそう。

駅前のコンビニで水、チョコレート、タオル、傘を購入。
コンビニ内のATMにて資金引き落とし。
公衆電話で家族と連絡、たぶん帰れない旨連絡。

余震が怖いので駅前の屋外で待機。

五反田駅前のバス停には常に30m〜の行列があったが機能していた様子。

16:30
寒くなってきたので、そろそろ大丈夫かな?と思い
五反田駅前のマクドナルド(24時間営業)でカフェラテ飲みながら状況見守る。

混雑のため相席。一緒になったお姉さんと情報交換、怖かったね話等をして、少し落ち着く。

マクドナルドにいるお客さんの何台もの携帯から余震のたびに警報が鳴り、揺れる。
この繰り返しが恐ろしい。

彼氏から国際電話にて連絡。1時間程話す。
話をしている間は少し状況を忘れて気持ちがリラックスできる。

池袋にいた友達とツイッター&メールで連絡。友人移動を開始。
友人の実家が五反田付近なので、とりあえず来てくれる事に。

会社からの連絡では品川プリンスホテルが無料開放しているとの事。
ツイッターで学校の開放情報等情報収集。もしもの場合は行くことになるかもしれないと思いつつ、気持ちが沈んで移動するのも辛く、実際に移動する自信は全くない。

20:00
五反田駅前のマクドナルド、突然の閉店。店内にホタルノヒカリの音楽が流れる。
就活生など呆然としつつその場で知り合った同じ境遇の人達と連れ立ってお店を出る。
マック、経営やバイトの人の事情等理解できるがなんという事…。

この時点でスマートフォンのバッテリーも切れる。
PCのACアダプターもDesireの充電器も全てオフィスに置いてきていたので、S22HTのメールとモバツイで見るツイッター、ネット上のニュースだけが頼り。
不安ピークだが、友人に会えることだけが心の支え。

20:30
友人が4時間かけて池袋から到着。
さっきまでの不安と緊張が嘘かのよう。

友人の実家方向へ徒歩で移動。
五反田友人実家へ向かう途中の、横幅3m程の歩道は人でいっぱいになっており、通勤ラッシュを思い出させる。
車道の車はビクともしていない。川崎行きのバス等が走っていたが、何時間掛かるのか分からないといった具合に見受けられた。

一緒にサイゼリヤにて食事。
おしゃべりが楽しい。

ついったでの私の嘆きを見ていた友人から連絡。
自宅においで。と言ってくれるので、連絡して合流を待つ。

22:30
この日家に泊めてくれる別の友人が車で迎えに来てくれる。
バトンタッチ。車で移動。

大井町線沿い裏道は比較的落ち着いていた。線路沿いに歩いている人はチラホラ。家族連れもあり。車の数は少く、通常通りの感覚で走行できる程度。


23:00
友人宅に到着
横浜方面の交通が復旧した情報があったが、横浜から移動する手段がないのでそのまま友人宅にお邪魔する事に。

この時初めてTVの映像で津波の到達映像、火災の映像を見る。
分かってはいたが想像以上の恐ろしさ。しかし実際に映像で見ても現実味がない。
日本じゃないみたい。

家族、会社、友人等に、メールにて連絡。
お風呂に入る。

03:00
就寝。

翌3/12 09:30
起床。
 
TVの情報を見てみると朝から横浜の自宅に帰れる条件は整っていたが、混雑が予想できたので、ある程度状況が落ち着くのを待つためにゆっくりさせていただくことに。お昼ごはんをご馳走になる。

15:00
友人宅を出る。
電車、バスを乗り継ぐ。
最寄り駅は高架線路が壊れた為電車は通っていなかったもののほぼ普段どおりのルートで順調な移動。
人も多くない。

16:00
自宅到着

<情報と判断>
前提として、東京にいる限り交通が麻痺した時点で、横浜市内の自宅へは到底戻れる距離ではない。その場にて避難方法を考える事が優先だという事が分かった。

連絡方法として公衆電話、携帯電話、スマートフォン、パソコンを利用していた。
友人宅に到着する前は、電話、メール、ツイッター、インターネットニュース、通りすがりの人、その場その場で居合わせた人との会話で情報交換をしていたが、それだけではやはり情報は断片的だったし、何より初めて体験する地震の規模だったので、「文字」だけ、「音声」だけの情報では奥行きのある現実的想像がしにくかった。
また、一人で行動していた事もあり、情報の真偽の判断は自分の情報リテラシーに頼るしかなく、それはものすごい緊張感だった。

そういった情報に対する緊張感と余震に対する不安の中、結果的に安全だった東京にいた私も一人でいる事に対するストレスはこれまでにない物であり、時間が経てば経つほど判断が鈍るのは簡単だと思った。

また、友人宅に地震発生から約9時間後に到着して、初めてTVの映像を見て、映像の報道の強烈さと影響と効果を実感せざるを得なかった。事態が深刻がゆえの強烈さ多いにあったかもしれないが、近年あまりにも有効活用されていなかった印象のTVというメディアの価値を初めて実感できた様な気がした。
そういう事もあり、今回PCの電源が切れた事はかなり致命的で、外にいる時でもUstream等のTV系情報を途切れない様にすることも大事だと思った。そういう意味でガラケーを持っていない私はワンセグ情報も入手できず、情報難民でもあったのかもしれない。

<人がいる事の重要さ>
不安の中で待機して交通が回復するのを待つしかなかった私を助けたのは友人が迎えに来てくれてた事だった。友人が方法を提供してくれるという事もそうだったが、人と一緒に行動する事、周りの人と会話する事で気持ちはある程度ストレスを感じ無い方向に回復したし、人の存在の重要性を感じた。

マクドナルドで待機していた時には周りに多くの就活生が避難、待機しており、皆同じように帰宅難民だった。結局5人前後席が近かった者同士がいくつものチームになり避難所を目指して行動していた。

池袋から会いに来てくれた友人とは一緒に食事をしながらいつもの様に楽しくすごす事ができた。この間3時間程だが、本当にいてくれて良かったと思った。

宿泊させてくれた友人は、マッサージをしてくれて、食事を食べさせてくれて、音楽を聴かせてくれた。どれも普段あまりにも気にしない日常の事柄だが、この時の私にはハッとする様な癒しだった。イレギュラー事態とは言え、ほんの24時間家に戻れない状況ではあったがこれだけのストレスを感じて、色々な普段の出来事に癒しを感じる事になった。災害地にいる人達は家族が見当たらなくて心が休まらないかもしれないけど、自分とか、近くの人にマッサージしてあげるとか、音楽を聴いたりとかで、一人ではないと、家族を探し出せると勇気を出して欲しい。

<できる事>
今の私には募金をする事やツイッターで有用だと思う炊き出し場所情報、尋ね人情報なんかをRTする事くらいしかない。

堀江貴文さんが「JustGiving」という募金サービスサイトから募金を募って「Civic Force」という団体に寄付する活動を開始していたので、こちらに参加した。
JustGiving 「チームたかぽんのチャレンジ」
http://justgiving.jp/c/1576

また、中国語をせっかく習得したので、被災した中国人の皆さんを助けるにはどうしたらいいのか。中国は四川での地震があったが普段はほとんど地震がない国なので、そのショックは相当かと思われる。相当する団体がどれくらいあるのか調べている。然るべきタイミングで活動できる様に準備しておきたい。