生産についての気づきと男女についてメモ

こういう事を書くと逃げとか色々感じる人もいるのかもしれないけど、私の個人的な結論は生産って子供を生むことが一番すごくて、尊いみたいな事なんじゃないかって思う様になってきた。

最近になって就職活動を始めたりしていて、自分がこんなに仕事を探すことに積極的になれるとは思ってなかったから今までの自分の中での自分への偏見が本当に偏見であった事に気がついてびっくりしたりしている。まぁ、それはいいとして。

働くって事は生産なんだって事に気がついてから、生産って何を以て生産って言うんだろうってずっと考えていた。
すごく小さな事をちまちまと出していると何となく出せる状態になるって事はついったで学んだんだけど、つまり簡単に言うとたぶんアウトプットって事(アウトプットって便利な言葉だよね。)で、それが生産って事なんだろうってやっと気がついた。

今年の夏、中国国内で「危険」「貧乏」「汚い」みたいなイメージが強く、GDPがワーストにランクインする地域に行ったけども、そこはそんな悪評をことごとく裏切る素晴らしく美しい場所で、経済活動をする必要がない豊かさを持った所だった。そんなワンダーランドを目の当たりにして、初めて生産って市場経済以外にも言えるんだ。って当たり前の事に気がついた。

年齢的に周りの色々な友達が出産をしている。出産ラッシュみたいな感じ。産休とか育休している友達達は意外にも早く仕事に復帰したがっている。家計の収支計画の現実問題として仕事に戻りたいって事情は当然分かる。でも、中には家庭の収入としては事足りていても仕事に出なくてはならない。と思っていたり気がしている人もいたりすること。子供と一緒にいられるチャンスがある環境っていう風には思わないのかな?仕事と育児、どちらが自分の生産性を効率良く発揮できるかって事を考えたら、いくら仕事が得意な人でも人間一人が成長していく事を手伝う事に勝る生産ってないんじゃないかって思えたりする。

それは経済以前に自分たちの住む世界を形成する人間を未来に向けて育てるんだから。と思う。

私は結婚もしてないし子供もいない。一人だから当然自分が生きる分は自分で稼ぐ必要がある。働いていて思うのは私は必ずしも仕事に向いている人ではないかもしれないということ。それは私自身が仕事が好きだ、とかお金を稼げてる(稼げてないけど…)とかそういう事以前に事実として、私が女であるという、もう一つの生産への可能性について考えてしまうから。

結婚したら家事は分担、子供が生まれたら育休も両親ともに取れればいい。と周りは言っている。そりゃ当然育休両親ともに取れたらすごい嬉しいし楽しいだろう。でもそれって、なんだかムキになって欲しがっている「男女平等」の為に無理やりやらせたり、やらされてりしてないかな?っていう疑問から、友達が仕事に戻りたがる気持ちを疑ってしまう。

思うに、男女は平等ではない。人間という存在としては当然平等ではあるけれども、生物としての役割が違うと思う。というか平等だったら男も女も出産ができる体なはずだし。

確かに日本の社会は様々な関係が歪んで、色々な道理がすり替えられて表現されて誤解し合っていて本質について皆が分からなくなる事が沢山ある気がする。

そんな愛のない心ない大きな塊から虐げられたり、誤解されたり、軽視されたり、無理解だったりして、それが「男女平等」ではないせいだと思って男性コンプレックスみたいにムキになって、自分の「出来る事」を素直に受け止められなくなってる人とかいるとしたら同じ女性として本末転倒だし寂しいと思った。

っていうのは私は素晴らしく強い男性コンプレックスを持っていた(いる?)と思うし、その考えはことごとく不自然でとても疲れた。

こんな風に考えられるようになったのはたぶん自分自身が仕事を経験して、社会的な男女関係がとてもニュートラルに平等な上海って土地に暮らしていたからだと思う。

上手に論理的にまとめられないから断片的に思っている事を並べてみた。日本は確かにとてもコワイ社会だけど自分の出来る事は尊重すべきだし大事にすべきだし、ついった的に楽しくある為に自分の生産パフォーマンスは常に高くしていたいと思うだけで十分生きていけるのかもしれない。