2010年6月21日(月) 20時〜22時半 徐家匯

友達が徐家匯でパソコンを買うって言うのと、ABBのシールを持ってきてくれるって言うのと、私の荷物を昨日間違えて持って帰っちゃったので持ってきてくれるって言うことで、一緒にご飯をすることになった。

港麗っていう香港式レストランに行った。
入店したのはたぶん20時くらい。人気のあるお店だから遅い時間だったけど15分くらい並んだ。

注文したのはベトナム風生春巻き(私がベトナムで買った水色のワンピースを着てたから)と、エノキダケと豆苗を炒めたやつと、腸粉っていうお米の粉を使ったマカロニみたいなやつをXO醤で炒めたやつと、北京ダック的な肉の盛り合わせ。

昨日久々に会った時に「4月6日以来だね。日本に帰る前ね。」って言うもんだから、「いつも良く覚えてるね。」って言うと、電車に乗ってる時何度か「記憶が強すぎる。」って言ってツライ顔をしてた。

友達の記憶が良すぎる。本人の人格と生活に大きく影響するほどに良すぎるってことを知った。
日にちを覚えるのは得意なんだって知ってたけど。

私と出会ったのは2008年2月20日か21日。オフィスのロビー。
私は全く覚えてない。

これまで何回会ってるのか聞いてみた。約2年と少しの期間中、会ったのは13回ほど。
そうなんだ。確かに時系列で聞くと私が帰国した月とか合ってる。

これを3歳の時から、毎日一日過ぎる度に一日分の記憶がまるごと増えて、人の情報は知り合いの人数だけ覚えている。もちろん出会った日から、どんな洋服を着ていたか、何を話したか、どんな髪型だったか、メガネを掛けていたか、まるごと全て覚えている。1月は私の前髪は短かったって。

人に言うとコワイっていつも言われるよ。って。

私は過去をガンガン忘れる事が処世術みたいなところがあるから過去を抱えている状態が分からない。「人は忘れるから生きていられる」とか誰かが言ってたけど…。

自分は覚えているのに、あの時楽しかったよね?って憶えてても相手は忘れてるかもしれない。っていうか忘れている。それって寂しくない?

その他の人にとっては流れていく日常なのに友達にとっては毎日が永遠。
すごい孤独だと知った。

10歳くらいの時に皆が「忘れて」いることを知ったんだって。

今日は一緒にご飯を食べた。私が日本に帰るんだって話をした。ABBのシールをエネループと手帳に貼った。友達は興味のない食事を注文する練習をするって言うので、メニューを色々研究してた。

友達はコネ入社した今の仕事が嫌いだって言ってた。自分の記憶がある3歳の時から描いている油絵をもっと描きたいって思ってる。ある絵は2002年から完成してない。概念はもう頭の中にずっとあるのに。ギターは最近弾いてない。私の妹はベースをやってるって覚えてる。
お父さんの事が好きで、お母さんが美人。自分はお母さんに似ているからよかった。って。

私は日本で仲間が欲しくて家族ともっといたいと思ったし、日本のためになることをしたいと思ってる話をした。

海鴎カメラが欲しい話をした。友達の家には2台あって、一台はお父さんの二眼カメラ。
私の今日の靴はFEIYUEで、上海の物だからで、昔の物は美しいから好きで、いまの上海は汚いからもっと綺麗に戻って欲しいって言った。今度FEIYUEの靴を買ってあげる約束した。サイズは41だって。

私と徐琳が喧嘩しかけて仲介になってくれたことも思い出した。さっき友達が日にちを言ってたけどもう忘れた。たぶん去年の2月くらいの金曜日に怒りながら友達に電話して徐琳についてクレームしたこと。

覚えすぎているからツライことも覚えていて思い出す度に気分が蘇るから疲れる。って。
自分が覚えている事を他人は忘れるけど言えばだいたい思い出すよ。思い出は楽しいよ。って言って笑ってた。

私が思い出す度に「やっぱり覚えてるよね。」って言う。

今日のこと、たぶん私はこのエントリーに記録してても忘れる。でも友達はきっと一生覚えてる。さっき書いた数千文字のもっと事細かなエントリーデータも一瞬にして消えたけど、私が今日を忘れると友達は寂しい思いをするかもしれないし、私は寂しいのが嫌いだし、友達が寂しがることもしたくないから記録することにした。忘れちゃいけない日なんです。