カメラを使って。

これまで、何かを作るってことを意識したことなんてなかった私がカメラにハマリ、この1年くらい下手の横好きで一定の時間を割いている。

今年の2月で中国生活が6年目に突入した。気づいたら結構長くいたんだなぁ。親しみのある上海だけど、今年に入って、中国への興味が俄然なくなってきた。予測できた変化ではあったけど、それと同時に中国で撮りたい興味がある被写体も無くなってきたような感じになっている。

これはどうしたものか。写真の出来の意味でも,生活の楽しさの意味でも大変悩ましいことになった。

そんな中、写真を教えてくれている先生が上海以外の場所を撮影したいと言うので、昨日上海の郊外に撮影に行ってきた。

5月の連休明け、上海に帰ってくる時にいつも使っていたカメラを実家に忘れてくるという大ボケをかまして、ひとしきり泣いたわけだけど、もうどうせならこれをキッカケにマニュアルカメラをある程度使えるようになろうと思っていたので、この機会にデビューさせることにした。

使ってみた感想は本当に楽しい。デジタルの様に撮ったその場で確認できないから撮影する一回一回、慎重に考えて露出の調節も慎重に考えて、メーターを使って、シャッタースピードと絞りを数字で確認しながら設定してシャッターを切る。

この作業はたまらなく楽しい。また、現像するまで自分で撮った物を見ることができない。っていうこの仕組も新鮮だし、それがこれまでは普通だったんだなあ。と思ったら、これをキッカケに物事の過程を一歩づつ踏んで行くっていう我慢強さを身につけられるかもしれない!という期待までしちゃったりした。

写真の出来については、ベトナムの時みたいに思った様に撮れてなくてすごく悔しい気持ちになる可能性の方が高いんだけど。それでも何か結果が出るのが楽しみ。

で昨日、撮影会から帰ってきて、現像の結果が早く見たいなぁー。とか思いながら欲しくなった露出計の種類とか色々調べていると、色んな写真を見つけて見ていた。色んな人の写真を見てて、すごい上手だし、撮る密度が違うし、すごく悔しくなった。せっかくカメラ触るの好きなんだから、私も技術とかだけじゃなく上達したいと思った。

今の私はカメラを触って,色々な反応が帰ってくるカメラって機械が楽しいんだということが分かった。
学校の勉強の様に確実に答えの出ることを目標として実践している。それは確実にスキルとして必要なことだし、基礎の部分だから続けていくことは重要。

だけど、色んな人の写真を見ていて思ったのは、わざわざ何かを撮りたいと思って撮っていたり、撮りに行ったりして撮りたい物が期待通り撮れる場合も当然あるけど、そういう簡単な感覚で撮っていないしそれが目的にはなっていないことが重要なんだと思った。

その証拠に写真部とかの学生さんが撮った写真はみんな友達とかご近所とか普通の場所なのに、撮っている密度が違うと思った。学生さんだから時間とかの問題もあるし遠くには行けないし、レンズとか贅沢だってできない。それでも密度が濃くて素敵な写真が沢山あった。

最近はデジタルネイティブとか言ったりするけど、きっと写真ネイティブみたいな人がいるんだって思った。その人達は息をする様に、とは良くいう表現だけど、私にとって分かりやすく言うと、ついったでつぶやく様に写真を撮る。

ついったを比喩に使うのは何回目だろう。でも、そうなんだ。ついったを使う前の私を考えるととてもよく分かる。

ついったを使って言葉の密度が増した様に、カメラも被写体に対する反応の密度を上げなくてはあの人達みたいに素敵で色や匂いや触覚が生理的に反応できる写真は撮れない。

ついったでは自分の日常の何にでも反応して言葉にするところから始まった。色んな人の言葉を聴いて、見るところに進んだ。誰かの言葉に影響されて、誰かと話しをしていった。

今私にできることは枚数を撮ること。しかも休まず。もっと反応しなくてはいけない。表現力も大事だけど、反応を怠ったらいけない。まだまだ先は長い。

中国への興味が薄くなってきた背景に、今の私が見る日本は、以前私が感じていた日本とは違う雰囲気があって、そこに興味が湧いてきているという事があるんだけど、その感覚が発生している時点で私の感覚は限界に来ているんだとも言えるかもしれない。まだまだ研ぎ澄ませれば中国でも反応できることは絶対ある。だけど今、反応できる物が分からない。「こんなところ撮りたくもない。」なんて生意気な気持ちまで湧き上がる始末。なんとかして日本に帰りたいが為に言い訳みたいに「私の被写体様はこんなもんじゃないの。」なんて思い込みたいだけなんじゃないの?とかって事は毎日自問自答している。だけど、10年いたからOKとか、5年だからまだ足りないとか、そんなことはないことも分かる。

とにかく、こんな「心ここにあらず」状態がこのまま続くのは本当に好ましくない。色々なことが分からなくなってくるし時間がもったいない。だからって反応を良くする為にポジティブに思考を変えていけることなのか?って言われたら、それは違うってことも分かっている。ただ、この状況は早く終わらせないといけない。

って感じで答えはもうハッキリ出ているんだけど、5年半もいたんだから、後悔しないシナリオを考えることも大切。だからまだ少し時間が必要なんだ。だから焦らないで、難しいかもしれないけど、少しでも今できる反応を続けて行こう。誰かに見せたいという素直な気持ちで、とにかく多くに反応しよう。今はこのまま撮り続けることがシナリオの一部だってことだ。あと少し頑張れ。