ポイズンな傾向

言いたいこと 言いたいけど 言いたくないみたいな、ただしそれは別に世の中のせいじゃないし。みたいな日々。Google某を使うようになったので我慢強くはなってると思いますけどまぁ、もやもや病の一種でしょうね。もやもや病の認識間違ってるけど。もし、もやもや病患者の地位を守る会とかの人から連絡来ちゃったら困るので解説しておきますけど、本当に世の中にはもやもや病っていうのはありまして、私はその病名を文字っているだけの悪い奴なので信用しないでください!!!本当は病気はすごく辛いし、もやもや病だって脳の出血に関する病気らしいのですごく不安が大きい病気なのに、もやもやもやもやと軽率に文字っているだけの適当人間な私にもやもやする資格なんて本当はないんだ。

Wikipedia:もやもや病

話はがらりと変わりますけど、最近ネーミングセンスっていうのは本当に重要だな。と思ったりしています。もう一つ、この前すごく思ったのが『人間ドック』っていうネーミングなんですね。これはなんか短く言いやすくなってるけど、実はあんまり実際の意味に繋がらないし、現状、結果的に皆に隈なく認識されているから『人間ドック=普通の健康診断よりは少し詳細を調べる健康診断』みたいにぎりで通じてるんだけど、ネーミングセンスとして全然上手くない。『断トツ』みたいなウマさ目指す必要ないと思いますよ。って囁いてあげたい。

だいたい『人間ドック』でも『人間ドッグ』でも両方検索の結果出てくるし、Googleさんに「もしかして:」って言われて初めて「あ、正式はドックだわ。」ってなるしさ。

wikipediaがどこまで本当かってのも知りませんけど、wikipediaによると、この『人間ドック』は1954年に国立国際医療センターで実施されたのが走りらしく、その事を記事にした読売新聞の記者の「巧みなネーミング」により定着したということらしい。で、その記者の独創です。というなら話はシンプルで早かったんだけど、その語源というのがそもそもあって、作家の山田風太郎さん曰く、『明治・大正期の軍人大山巌が「人間も船と同じで時々ドックに入って検査しないといかん」と言っていた。』らしい。(山田風太郎:「人間臨終図巻」より)だから「人間ドックという言葉の由来は大山かもしれない」。らしいです。なんのこっちゃね。

とにかく、私はこの『人間ドック』って名称、自分の「学」の良さを少しだけ表現してみました。っていう科挙的な学の価値を感じるし、人間の味を感じるじゃないですか。って事は全然思わなくて、伝える側の一方通行さに虚しさを感じますよ。

私の母が「人間ドックに行ってきます。」って言うから「『人間ドック』ってなに?なんで『ドック』?」って質問しても「健康診断です。」としか答えてくれなかったっていう思い出とその子供心だってここでは見過ごすことはできませんね。

本当は言いたいことの前振りにさえ到達していないんだけども、これ以上やるとそのうち音楽業界なんだかんだとか無辜の被害者が増えるので一先ず今日はここまでにする。

<本日の主な出来事>
・豆乳スープ飲んだ
・朝から雨
・ついったのアイコンが暑苦しい
・新しいアイコンが決まらない
Picasaがインストールできない
・春ベスト決まらない
・山ほど揚げたえびせんが雨で湿気る
・低気圧に負けて夕方から寝込む(昼寝)
・友達からの電話をスルー
・もやもやが爆発
・世の中をdisってみる
・あんまり変わんない気がするけど
・花粉症がないだけ幸せと思え
現在に至る。