何もかも舐めていました。そして、とても悔しい。

今日、オリオン座流星群が日本と中国の上空を通り過ぎていきました。
ハレー彗星の子供たち。

いつか、あの人たちの願いをたくさん叶えて消えていった彗星の子供たちの子孫です。

そんな夜、当たり障りのない楽しい時間を過ごし、深夜にしては美味しすぎるコーヒーをいつもの様にいただいて、今後の話しをひとしきりして眠たくなるはずでした。

今晩、こんなに大変なことが起こるなんて思っても見なかった。

それはとてもたいせつなことで、かつて私が大好きだったはずのもの。
何で忘れてきたのか。或いは元々分かっていない人間だったのかもしれない。
だぶんそうだったんだと思う。

私は今日、真っ黒なガラスをふき取って「こんなに黒いんだよ。」と見せられた。
そして「こっちはこんなにも美しいんだよ。」と見せられた。

誰もがこんな風に優しくしてくれる訳ではないし、(感謝しています。)私が何かを提供したり、姿を晒せば皆が皆フェアに正体を明かしてくれる訳でもない。ある人は黙って私から離れていくこし、そんな当たり前の現実を感じた。

それはとても悔しいことだと思った。
厳しく生きてきたつもりだったけど、それはつまり「こんなに厳しい私なんだから。」というおごりが心の中にあった。それは「私、こんなに晒しているんだから。」と奢っていることと同じ。それを確実に感じ取ったんだろうね。あの人は。

舐めていたね。「どうせ。」「その程度。」「どうにでもなるんでしょ。」

本当に真剣であることを力強くも孤独を苦ともせず、却って楽しむかのように粘り強く戦う人だった。

本当にただ舐めていたってこと。

それを私は知ってしまったし、そうなったら学ばなければならないと思う。その真剣さについていけるのか、(果たしてそれを真剣さというのか。その人はただ自分のスタンスを貫いているだけ。)私はこれまでと同じように少なくとも体現してみないと納得できない。

今度はそれを努力と勘違いしてはいけない。
努力は自分の為に使うもの。他人の為の努力はこの世に存在しない。その人はそれを知っている。
そう思った。


私ははっきり言ってとても悔しい。ここ数年で一番悔しかった。
私がこれまで見下して、奢って、見限っていた何かは、私の知らないモノを持っていて、逆に私を試していたんだと思った。

物事を知らない私。それこそ井の中の蛙だった。

でも、興奮しているのも事実。とても悔しい。だけど、今の私は勝負したいと思っている。それは勝ち負けではないのかもしれない。でも、私はそこを見ることで、私のそこを見ることができる可能性ができたと思ってる。

そう思うと出会いはすばらしい。

私はこの悔しさを忘れないし、あの黒さと白さを見せてくれたこのハレー彗星の子孫たちの夜を忘れられないはず。